最近は現代社会にそこまでの不満はないが、若いころはいろんなことに躓くたびに「あー。縄文時代に生きたかった。」とよく思った。
人間関係、親子問題、他人と比べる土俵が多すぎることへの不安、お金。
きっと便利にはなったのだろうが、それと引き換えに無くした心の安寧と言うものが、ただシンプルに「生きる」と言う事をしていた縄文人にはあったはずだ。
まぁ高校時代日本史で1点取った私が言ったところでなんのリアリティもないんだけども。
でもさー、結局今わかっている縄文人の暮らしだって、発掘された土器とか、環状…?列石…?とかからなんか頭のいい人が想像力で補って「推定」されているって事でしょ?だったら私が縄文人のいる時代を妄想したって全然悪くないよね。つうかまず「縄文人」っていう名前だって現代人が勝手に付けているわけだからね。にしても「縄文人」って。もっとなんかなかったー?って思う。土器に縄状の模様が刻まれていたからって、もうそれをこの時代のスタンダードみたいに思わないで欲しい。
絶対いたはずなの。縄の模様以外の模様を付けていた人とか、土器の取っ手のところに繊細な蝶々の細工とかした人も。
”あたかも生きているかの如くリアルで繊細な蝶をあしらった取っ手付きの小型土器(主にクワイポタージュなどを入れる。)は作者不明である。取っ手に群がる一塊の粘土で作った無数の蝶々。羽の薄さは0.01ミリとも言われている。現代で言えばオカモトの001と同等の厚みである。
もちろんそのような芸術性を持った作品はほんの僅かであり、通常の家庭でも土器や食器は作られていたが、そのような用途の物は繊細な細工は施すことなく実用性重視であった。
本来土器の原材料となったキメの粗い岩堰泥(がんせきでい)では大雑把なデザインがせいぜいであった。そして火の通りを均一にするため、また持ち運びする際に滑りにくくするために表面にわずかな溝を木の棒で一本ずつ付けるのが一般的であったが、土器の表面全てにそれを付ける作業は非常に時間を要した。(主にその家の長男の仕事であった。)
暗い竪穴式住居の中で、背を曲げ、黙々と細かい筋を刻み付けるだけの仕事。
地味な作業のため華がなく、村の女性が毎年決める「結婚したい男の仕事ランキング」では常に最下位であった。(1位はイノシシの生態を知り尽くし科学的に狩りをしたイノッサーという職種。知的なイメージで人気があった。)
そのやりがいのなさと大変さの為、いろんな村の長男が今で言う「うつ状態」に陥った時期があった。
長老たちは「有事!」との判断で会合を開いた。
土器に模様を付けなければ食事のクオリティ、つまりは生活のクオリティ(QOL)が著しく落ちてしまう為にこの仕事をなくすことなどできない。しかしその仕事をやった者はいつの日か呪われ、ぶつぶつと独り言を言ったり、急に衣服を脱ぎだし「つるつるでいいだろう!!?なんで溝なんだよ!!!」と叫びながら朝まで踊り狂う等の奇行を繰り返している。
この模様を楽に付けるのに何かいい案はないか?その様な事を話し合った時、誰かが
「この間、木の皮を撚って作った紐を土器に押し付けたら紐の細かい模様で土器が凹み、うまい具合に模様になった。完成した土器で試しに山イタチの煮込みを作った。火の通りもちょうどよく、模様を付ける時間としては今までの10分の1程度。どうだろう。」
ほう、と皆感心したように目を見開き、翌日から試作ではあるが多くの「紐型文様」の土器を作り始めた。話に聞いた通り模様も簡単、煮炊きにも適した土器が出来た為、ワンクールごとに行われる「MURABITO KAIGI」でその製法が公式認定された。
(それがのちの「縄文土器」である。)
そして土器を作ることに余裕が出てくると、皆一斉にデザインに凝り始めた。
まだ結婚していない長男たちの間で取っ手を付けたり、性能的には何ら関係のない装飾を付けるのが流行り出した。今まで日の目の見なかった土器作りの長男たちの鬱屈した「モテたい」という気持ちが実用性よりも見た目の華美さに走る要因となったようだ。
彼らの悲願は叶い、「土器作り」は翌年の「結婚したい男の仕事ランキング」の5位に食い込んだのだ。
しかしデザインを魅せる事に走りすぎた為、耐久性や使いやすさのクオリティは当然下がった。本来の目的から離れた土器を作り続ける若者たちに、長老をはじめ年長者たちは眉をひそめた。
そして再びの「MURABITO KAIGI」にて「土器は縄で文様を付けたもの以外は認めない。これを制作したものに対しては罰として1か月高床式倉庫の掃除を任ずる。」とお触れを出したのであった。
最初は蝶々やら花やらの装飾にきゃっきゃしていた女子たちも
「なんか結局スタンダードなのが使いやすいんだよねー」
「つーか、あいつモテるために必死じゃね?」
「いや、目がマジすぎてきっしょww」
みたいな意見が溢れ、お触れよりもそちらが効力を持ったというのが実際の話の様である。
余談ではあるが、この紋様を付けるときに使った紐は色々な用途に使われた。
紐に土器を焼いたときに出来た煤を付け、白い石板などに押し付け転がすと何やら動物や蝶や鶏や虫に見えるような柄が付いた。それを見て何に見えるかと皆で遊ぶのも定番であった。
後はなぜかその紐が、倦怠期を迎えた夫婦に送るのが習わしであり、紐を渡した翌朝には、あんなに冷え切っていた夫婦も腕を組み高床式倉庫にいそいそこっそりと向かったりするのである。
そして高床式倉庫から長らく帰ってこなかったりする。そこで何をしていたかとかは全くさっぱり分からないのだけれど。
紐のおかげで仕事は楽になり、遊戯も充実、夫婦仲まで良い。なぜか少子化問題も解決。
そう、そんな時代、それが縄文。”
縄文時代で大好きな君と出会ったらどうだったろう。
言葉はあったか。歌はあったか。
我々が分かり合う術はあったか。
距離が離れていれば出会えなかったか。
でも安心してほしい。
酒はあったらしいから。(酒があればすべて解決。)