もう8年も前の話になる。
年も性別も住んでいるところも全然違うのに、とても気の合う友達が出来た。
人に対して割と時間をかけて仲良くなる私だったのに、彼に対しては最初から全くもって遠慮をしなくて済んで、それがとても心地良かった。
遊びたい盛りの彼の女事情も腹がよじれるほど笑いながら聞けたし、彼も私が女であることを認識はして割と丁重に扱いながらも、それでも性別を意識せずに対等に接してくれた。一緒にたくさん酒を飲み、小学生みたいなアホな話もしたし、真面目にこれからの仕事について語り合ったりもした。
ただただ人間として繋がっていたように思う。
それはもうはっきりと彼の事が大好きだったし、多分彼も私の事を大好きだった。
彼は陽気で、話がうまく、語彙も豊富で、その頃の私が長時間話していても楽しく疲れない数少ない友人であった。恋愛感情なんて全くなかったしだからこそ何でも言えたのだ。
だけれどいつしか彼を知るたびに私の中の気持ちがちょっとづつ形を変えていって、あれ?と思った時には彼が関わった女の子の話を聞くたびにもやもやしたり、なんだか胸が苦しくなることがあった。
なんか、これは、ちょっと、やばい。
そんなことに薄々と気付きながらも、敢えてその気持ちに名前を付けることはせずにいた。
名前をつければ否応なしにそこにフォーカスが当たり、もっとおかしなことになってしまう。私たちが気に入っていたこの関係が失われてしまう。何でも話してくれる彼が好きだったし、私は彼にとってそういう相手でいたかった。
だから私はぼんやりとその気持ちがふくらんでいく事に一切の無視を決め込むことにした。
また心のどこかで気付きながらも「いつかこんな気持ちは無くなっていくだろう」と楽観的でもあった。
だけどある日「これはもう駄目だ」と思う出来事があり、私のずるするとした気持ちに決定打が打たれた。私この人が好きだ、この人が本当に好き。
認めざるを得なかった。その時に完全に自分の気持ちに降参することにしたのだ。
分かっているのは、彼は私に恋はしていないと言う事だ。彼の一挙手一投足から度々それを思い知らされ頭で分かってはいるのに心がギシギシと痛んだ。
彼が何も気にせずいろんな話をしてくれるのも、私の前で泣いたりできるのも、酔っぱらった勢いで変なメールばっかり送って来るのも、私たちが「何を話しても平気な相手である」といった関係だからだ。ただそれだけだ。分かっている。
私は久しく忘れていた。恋とはかくありき。こんなにも心を波立たせるものだった、という事を思い出して悶絶した。
表面では友だちの面構えを貫きながら、彼の色々に心をグラグラと揺らし、
そんな自分が情けなく、みっともなく、誰も見ていないのに恥じた。
彼は近いうちに今よりも離れたところに引っ越すことも知っていた。
もうこうなったらなんてことないただの実験を持ちかけるような雰囲気で、飲もうぜ!って言うのと変わりないノリで、1回だけでも彼に抱いてもらおう。
やけくそな気持ちもあったのもあったが、そうでもしないと私は彼に一度も触れないままのような気がした。何も手に入らなくても、せめてこの手で触れたかった。
お互いにパートナーはいない時期だったので、そのこと自体に何ら問題はないと思ったし、彼もその頃はそちらの方面においては大人としてのルールを守りながらも奔放に楽しんでいたので、まぁ断りはしないだろうと小狡い計算もしていた。(いやな奴。)
そんな私の中のドロドロを努めて感じさせないように、「ちょっと楽しい事しようか!」位の感じで話を持ち掛けた。その程度の温度感なんだと彼が思ってくれることを、私も望んだ。
彼は驚いていたけれど、私の望んだ温度感で快諾してくれた。
そして彼と会い、一緒の部屋に泊まり、願い通りそんな感じの事をした。
その事でより一層「彼にとって私はただ気の置けない友達」であると言う事を突き付けられた。
それは彼に触れる前に頭の中で考えていたよりずっとずっと悲しい事だと知った。
誤解のないように、そして彼の名誉を保つために言えば、決して雑に扱われたとかでもないし、ひどい事を言われたわけでもない。友達として尊重してもらったと思う。だけれど私は傷付くくらい現実を思い知った。
今まで笑って聞いていた話も、もう作り笑いも出来ない。相槌も気の抜けたようになって、楽しそうに話している彼に申し訳ない気持ちと、自分が可哀想だという気持ちでぱんぱんになってきた。
自分で勝手に好きになって、自分で望んでこんな風なことをして、何が可哀想か。
本当に馬鹿でくだらない女だ。本当に本当に。
彼の泣き顔を初めて見たときに、もっとこの人を笑わせたいと心の底から思ったのじゃないか。
なのに何にもごまかしきれなくて、笑えなくて。彼にも失礼な態度をとって。良心とエゴがせめぎあって、小さい私の心が限界であった。
自分の気持ちを言ってしまえば一生この関係は戻ってこないことも知っていた。
分かっていながら、私は世界で一番私が可愛く、ただ私のために彼に気持ちを伝えた。
彼は思ったより驚いていた。全然気付いていなかったとも言った。明らかに動揺していた。
だけれどやはり彼らしく、丁寧にきちんと言葉を使って、私を諦めさせてくれた。
それでも、もちろんもうああいう事はしないけどこれからも友だちでいられる方法はないのかとか、俺がそういう女性関係の話はしないようにすればいいのではとか、いやでもそれじゃお互い気を遣うよね、とか、そう言ったような事を言葉が整列しないまま彼は言っていたけれど、結局その日で彼と私の関係は終わることとなった。
もうこの人に会うのは今日で最後だという気持ちと、やっと言えたという気持ちと、いろんな気持ちが並行してそこに在り、笑いたいような泣きたいような不思議な気持ちでいた。
電車乗るまで見送るという彼をありがたいと思いつつ、断った。
改札からずいぶん離れたところで感謝の気持ちとお別れの言葉をお互い告げ、軽くハグをした。
どうしても泣きそうだったので切符を買う事だけを考えて券売機に向かう。
やはり冷静じゃないのか、ただ切符を買うだけなのにいつも以上に手間取りもたもたとした。こんな時にも私はどんくさいな、とちょっとだけ笑えた。
改札を通る前に儀式的に振り向いたら、彼はまだ先ほどのところにいて、私に向かって大きく手を振った。急に我慢できずに顔が歪み、みっともない顔で私も手を振った。
電車を待っている間、彼の事を考えた。
本当はもっともっと伝えたいことがあった。
彼の素敵なところもっともっと伝えて、もっといい気分にさせてやりたかった。
笑うと横にぐっと広がる口とか、声が大きいところとか、酔っぱらうともっと早口になるとこ、意外なところで弱気になるところとか全部好きだった。
歩くのが早いとこととか、寝言がひどいところとか、彼が自分で欠点と思っているところだって、私にとっては一つも欠けていなかった。
恋もしていたけれど、大事な友だちだったし、時には母親のような気持ちで君を愛しいと思った。
彼への餞みたいに、それをもっともっと真剣に伝えればよかった。大人ぶって平静な振りなんかしないで必死に伝えたらよかった。
いつも後から気付く。好きな人と会う時はいつも最後だと思って会うべきなのに。惜しむなよ。ビビるなよ。本当に。
電車の中で私は、リュックに顔うずめて、しっかりと泣いた。
その後は少しづつではあるけれど、彼がいた私の心の場所が徐々に小さくなり、何かにとって代わるようになり、そこに違うものが入り込んだり、またいなくなったり、また何かで埋まったりした。ちょっとずつ元気になっていつもの私になった。あの時はあんなに寂しくて息が苦しかったのに、8年たった今ではすっかり甘ったるくて赤面するような思い出でしかない。
人と出会って別れるってそういう事なのだ。出会いは嬉しくて別れは悲しい。どんな思い出もいつか色が抜けていく。
だけど相手に貰ったものだけ時間をかけて綺麗にろ過されて、その人の中に残っていく。
だから8年前の私よ。
大丈夫。全部大丈夫だよ。心配いらない。
お前がした行動は変だったかもしれないし、全く格好いいものではなかったけど、8年後の私は正解だと思っている。
だから腐るな私。たくさん泣いてもいいから笑うこと忘れるな。
本当に本当に、あなたは大丈夫だから。
以上!8年前の私へ。
2031年7月の私より。